好きこそ物の上手なれ

みなさん、こんにちは!

個別指導塾コネクトです(*^_^*)

 

 

 

 

「自分の愛することを仕事に選びなさい。そうすればあなたは一生のうち、一日も働く必要がなくなる」

 

 

という言葉があります。

 

 

同じ苦労をしても、それを苦労として捉えるのか、そうでないのかは、そのこと自体を好きかどうかで決まると思います。

 

 

好きな事であれば、寝食を忘れて没頭することができるでしょう。

 

反対に嫌いなことを無理矢理に続けていくことは大変な苦痛です。

 

 

同じ苦労でも、好きなことであれば「楽しい」となり、嫌いなことであれば「苦痛」となる。

 

 

これは何も仕事に限った話ではありませんよね。

 

 

 

 

しかし、この言葉自体はその通りだったとしても、大きな問題が2つあります。

 

 

 

1つは、好きなことばかりをやっていられる状態など中々ないということ。

 

もう1つは、自分の好きなことが何なのかがよくわからないということ。

 

 

 

私はこの2つの問題点に共通することは、「自己評価の低さ」だと考えています。

 

 

自分のことを過小評価している人ほど、「好きなこと」という言葉に距離を感じているような気がします。

 

 

 

まず、「好きなことばかりをやっていられない」はその通りだと思うんですね。

 

「100%好きなことだけをやる」っていうのは現実的に難しいのではないでしょうか。

 

 

なぜかというと、「苦労が好きな人はいない」からです。

 

 

好き好んで苦労を買って出る人はほとんどいないと思います。

 

 

しかし、その苦労の先に「これが得られる!」という明確なビジョンがある人にとっては、その苦労はいわばお宝みたいなモノですよね。

 

 

苦労と結果はセットで1つみたいなところがあります。

 

 

結果の伴わない苦労はイヤですけど、その苦労の先に欲しい未来があるのであれば、その苦労までも楽しんで乗り越えちゃいます。

 

 

これって、「苦労したら得られる」という思考の上に成り立っていますので、「苦労してもうまくいかなかったらどうしよう」っていう悩みで行動できない人は「苦労を楽しむ」という言葉自体あまり理解できないのではないかと思います。

 

 

 

次に「好きなことがわからない」っていうのも、実は行動力に繋がっていると思います。

 

 

「好きなことがわからないから何もやらない」

 

 

「好きなことがわからないから色々やってみる」

 

 

思考のスタートの段階でどう考えるかで、その後の進む先を大きく変えるのではないでしょうか。

 

 

 

これも、私見としては、「やってもどうせ見つからない」という自己評価の低さが原因なのではないかと思っています。

 

 

 

 

「苦労を楽めるかどうか」を決めるのは才能ではなく努力だと思います。

 

 

 

「好きなことを仕事にする」のは難しいと思います。

 

それが出来るのはほんの一握りの人だけではないでしょうか。

 

才能が大きく影響すると考えています。

 

 

 

「自分のやっていることを好きになる」

 

これは努力次第で目指せるものだと思います。

 

才能ではなく、努力の比率が高いと思います。

 

好きになる努力が必要になるわけです。

 

 

 

お宝をゲットするにはそれなりの準備が必要です。

 

 

地図を広げ、航海計画を立て、宝箱のカギもゲットしないといけない。

 

 

目的地に到着するまでにいろんな予期せぬトラブルがあるかもしれない。

 

 

それを乗り越えても、宝箱の中身は空かもしれない。

 

 

 

「本当に欲しいモノはお宝を手に入れる前に訪れた」

 

 

宝を手に入れるための努力が本当のお宝だった

 

 

 

 

みたいなことが何かのマンガに描いてありました(*^_^*)