歴史の話をしよう⑥~この世界を作った物は~ | 個別指導塾 コネクト

歴史の話をしよう⑥~この世界を作った物は~

こんにちは!

個別指導塾コネクトです(^^)/

 

 

さて、歴史の話をしましょう。

 

 

国造りに尽力した兄弟がいました。

 

兄の天智天皇、弟の天武天皇

 

ともに、天皇を中心とした律令国家を目指し、その完成を見る前に死んじゃいます。

 

 

その後、天武天皇の奥さんが持統天皇として即位し、日本で最初の本格的な都である藤原京に都を移しました。

 

 

そしてついに、天智天皇と天武天皇がリレーで完成を目指していた「律令」が完成します。

 

これを大宝律令といいます。

 

 

完成させたのは、大化の改新の立役者、中臣鎌足の息子です。

 

 

鎌ちゃんは、その功績を称えられて、死ぬ間際に「藤原」の性を与えられます。

 

その息子の藤原不比等が律令国家形成のリレーのバトンを受け取り完成まで持っていきます。

 

 

 

天皇と貴族が中心になって政治を行い、役所も設け地方政治も管理します。

 

戸籍制度税制なども整備し、この頃に和同開珎という日本最古のお金も登場します。

 

 

そして710年に平城京に都を移し、奈良時代が始まっていきます。

 

 

 

一方、その頃の農民の暮らしは貧困を極めていました。

 

 

天皇や貴族が「政治だ、都造りだ」とバンバンお金使っていましたが、そのお金の出どころは農民からの税です。

 

 

日照りが続いて、大飢饉となり農作物がまったく収穫できなくても、地震が頻発して多くの人の命が失われようとも、天然痘という感染病が広まり働けるような状況じゃなくなっても、農民から税を取り続けました。

 

 

この頃の農民の暮らしを山上憶良「貧窮問答歌」で表現しています。

 

 

家は傾き、食べ物もなく、火を焚くかまどには蜘蛛の巣が張っている。

 

それでもムチを持った役人が税を取り立てに来る。

 

 

 

 

この世界を作った物は「犠牲」です。

 

現代にも続くきらびやかなモノはたくさんの犠牲の上に成り立っています。

 

この時代、貴族の子は貴族、農民の子は死ぬまで農民でした。

 

 

今の時代は違いますか?

 

 

「実力があれば這い上がれる」

 

 

これは違うと思います。

 

 

這い上がる意思があるのかどうか

 

 

すべてはそこにかかっているといると思います。