みなさん、こんにちは!
個別指導塾コネクトです(^^ゞ
今になって思い返すと、私は若いころ、なんでもかんでも「勝負」として考えてきたように思います。
勝負には「勝ち」と「負け」があって、「勝者」がいれば必ず「敗者」が生まれます。
「自分が勝つこと」をモチベーションにして、いろんなことを頑張ってきたように思うわけです。
頑張るモチベーションは人それぞれで、「勝つことにこだわる」ってのは悪いことではないと思っています。
ただ、頑張り方っていろいろあって、敗者を生む頑張り方以外にもやり方はいろいろあるなぁと30歳を超えてから思うようになりました。
スポーツなどの競技で、しっかりとしたルールがあって、そのルールの中で「勝敗が決まる」ってのと少し違います。
特に仕事なんかで「成果」みたいなのを競った場合には、ルールなんてあってないようなもんですし、その中で「勝ったヤツ=頑張ったヤツ」で、「負けたヤツ=頑張っていないヤツ」みたいな公式がずっと頭にありました。
この公式って一理あると思うんですね。
でも「一理」でしかないと思うようになったわけです。
「それがすべてではない」と。
「勝つ」には相手が必要です。
それはきっと「人」なんだと思います。
誰かよりも上位に立って「勝った」と表現すると思うんです。
でも、ほとんどの場合、戦う相手って「人」じゃないことの方が多いと思うんです。
自分にとって大事な場面が、「アイツに勝つこと」ってこと、そんなにないと思うんですね。
受験がまさにそれかなって。
受験以外でも、乗り越えたい「何か」って、目には見えないもっと抽象的なモノだと思うわけです。
そして、それのことを「夢」や「目標」って表現するのかなとも思うわけなんですね。
確かに受験にも「勝者と敗者」があるのかもしれません。
単純に合格した者を勝者と呼び、不合格だった者を敗者と呼ぶならばそうなのでしょう。
でも、本気で受験勉強している子は「誰かに勝つために勉強している」という感覚は持っていないでしょう。
ただただ、目標に向かって目の前のことを必死にやっているだけなんだと思います。
だから、本当に成し遂げたい「何か」のために必要なことは「勝つこと」ではなくて、「負けないこと」だと思うんです。
それは「誰かに」ではなく、「自分に」です。
今までの短い経験の中で、「誰かに勝った喜び」なんてのはほとんど覚えていません。
でも、「自分に負けなかった経験」は今でも鮮明に覚えています。
自分の中の誇りです。
そんな小さい小さい誇りがあるから、今でも前を向いて歩いて行けるんだと思います。